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萌えぎのエレンのメインブログです

つんくの新刊『だから、生きる。』について #hps_jp

「だから、生きる。」

「だから、生きる。」

 2015年、ハロプロファンにとって最も衝撃だったニュースは、10月29日に発表された鞘師里保モーニング娘。卒業予告だ。2015年12月31日に鞘師はモーニング娘。としての活動を終了する。公表から2ヵ月後の卒業は最近のハロプロでは珍しい(道重さゆみの卒業が半年前に発表されたように、ある程度の期間を持たせるのが慣例となっている)。現在のモーニング娘。のセンターであり、人気ナンバーワン。そんな彼女は得意でもあるダンスを極めるために海外への留学を考えているのだという。とにかく、モーニング娘。ファンを含む全てのハロプロファンが、驚き、動揺した。
 この突然の知らせがなければ間違いなく2015年のトップニュースだったのは、つんくが声帯を摘出していたこと、そして、ハロプロのプロデューサーを「卒業」していたことだった。
 2014年10月につんくは、喉頭癌治療のため、声帯を摘出した。そうしなければ死んでしまうかもしれない。しかしシャ乱Qのボーカルのつんくにとって、声帯摘出とは歌手の引退を意味する。つんく本人はもちろん、ファンにとっても、絶対に想像したくないことだった。2015年9月10日に発売されたつんくの本『だから、生きる。』には、いかに悩み、迷い、それでも、生きることを選んだ彼の決断と思いが詰まっている。
 喉の不調を感じていた。2005年に声帯ポリープ摘出手術を受けた。それでも違和感が残っていた。まとまった休みを取って、治療と休養に当てるべきだった。しかしつんくは、自分が休むことでハロプロや自らが経営する会社が止まってしまうだろうことを恐れて、休むことをしなかった。スケジュールが詰まっていたので、体調不良であっても、点滴や注射などのような、その場しのぎの治療で済ます。あの時点でしっかりと休んでいれば、治療に専念すればというタイミングが何度もあった。つんくは、声を失って、そのようなことばかりを考えていたのだという。まさか自分が声を失うとは考えもしなかったと、この本には繰り返し書かれている。こんなはずではなかったと、つんくは繰り返す。
 その繰り返しは、あまり格好の良いものではない。この本には、かっこいいことはほとんど書かれていない。つんくという歌手のファンや、ハロプロのプロデューサーを偉大だと尊敬しているハロプロファンに対して、意外な印象を与えたのかもしれない。Berryz工房℃-ute、そしてモーニング娘。などのグループ名から始まり、歌詞やサウンドのユニークさ、メンバー増員や卒業など選考やそのタイミング。ハロプロが画期的だという印象はつんくの発想と決定の大胆さに寄るところが大きい。しかし、ハロプロの多くを決定してきたつんくであっても、いざ自分のことについては、悩み続けてきた。
 この本でつんくは、ある問いに答えている。声を失うことで彼自身、落胆したが、これまでの、ハロプロのプロデュースを含む膨大な仕事が生活の中心だった考え方が、家族とともに生きていくように変わったのだという。それでは、つんくハロプロを捨てたのかと。
 そうではない。アップフロントグループの会長からハロプロのプロデューサーを降りたらどうかと言われていたのだと、この本には書かれている。それは2013年の秋だったという。
 以前から喉の調子が変だと感じていたつんくだったが、ハロプロのプロデュースを手抜きにすることはなかった。歌手でもあるつんくは、シャ乱Qとして再びステージに立つことも夢見ていた。2013年に行われたシャ乱Qの25周年ライブでは、良くないと感じてきた喉の調子が、たまたま良かったのだという。もう以前のようには歌えないのかもしれないと、喉について不安を感じたのは、その5年前あたりからだった。
 アップフロントの会長がつんくに休めと言ったのだという2013年の時点では、まだ癌ではなかった。しかし、その、先を見通していたのかもしれない会長の言葉がきっかけで、つんくハロプロから降りることを考え始め、決断した。2014年に入り、癌の治療を始めた頃には、もう以前のように歌える状態では、なかったのだろう。
 ファンにとっては知られていることだが、ハロプロの楽曲には作曲したつんく自身による仮歌があり、ハロプロメンバーはその仮歌を真似るように歌い、レコーディングを行う。つんくが作るハロプロ楽曲は年に百を超える。その7割の仮歌をつんくは実際に歌う。つんくの仕事はそれだけではない。作詞、作曲、コンサートの構成から、グループのメンバー選考など、つんくの仕事がいかに多岐に渡っていたか、この本には書かれている。
 ハロプロファンにとって何が衝撃だったのか。それはやはり、つんくハロプロのプロデュースから離れていたことが明言されたことだ。そして、つんくハロプロ卒業は、どうしようもない、仕方のないことだった。それがショックだった。
 これまでであれば、ハロプロの事件とは、主につんく発信だった。モーニング娘。のコンサートに予告なくつんくが登場するとき、それはメンバーの増員の知らせであったりした。
 喉頭癌を患い、テレビやコンサートに姿を見せることがなくなった。2014年にスマイレージアンジュルムに名称を変更したが、それはつんくのアイデアではなかった。ハロプロのグループ名についてつんくが関わっていないということが異例だった。2014年後半、つんくの姿が見えなくなっていた。ハロプロ楽曲につんく以外のクリエイターが参加することが多くなってきて、2015年の楽曲すべてに「Produced by つんく♂」のクレジットが表記されていない。そのことからファンは、もしかしたらと予想はしていた。しかし、つんく本人からのアナウンスはなかった。
 シャ乱Qの頃は派手なメイクをしていたつんく。斜に構えるのではなく、アホでもいいから目立つことをやる。それはハロプロにおいての無数のアイデアでも健在だった。とにかく何か面白いことをやってやる。挑戦的だった。そんなつんくが、何かを隠しているとは誰も考えていなかった。
 そうであって欲しくはないが、もしかしたら。つんくはすでにハロプロのプロデュースを辞めていた。しかし、それを納得しないファンは、いなかった。ハロプロのプロデュースが激務だということが、この本からはっきりと読み取れたからだ。
 以下、この本に書かれている、つんくハロプロの関わりについてのまとめ。

モーニング娘。初期
レコーディングには4~5日が必要。
つんくはレコーディングの全ての工程(歌録り、パソコンでの歌や楽器の音などの編集、コーラス録音、トラックダウンなど)に関わっていた。もちろん、メンバーへの歌唱指導も行う。
トラックダウン作業では24時を超えるのは当たり前。
空き時間に新曲の作詞作曲や仮歌のレコーディングを行う。
作曲を行う日を決めて、必ず一曲は作る。
最初は誰もモーニング娘。が売れると思っていなかったので、作詞、作曲、ダンス、衣装、コンサートの構成、MC内容まで、アップフロントつんくのやりたいようにやらせた。
LOVEマシーンの大ヒット以降
タイアップなどでの制約が増えた。
ハロプロのグループが増えたので、つんくがレコーディングからコンサートまでの全てに関わることが不可能になってきた。
メンバーが忙しくなりレコーディングに時間を取れなくなったので雰囲気が出ていればOKテイクとする。
ピッチ調整などの細かい作業のため当時珍しかった「Pro Tools」導入。試行錯誤の連続。
つんく自身、雑誌連載やTVドラマ出演など、音楽以外の仕事が増えた。
頭が冴えて眠くならないので睡眠導入剤で就寝。
モーニング娘。4期メンバーまではつんく選考。5期以降はオーディション委員会設立。7期以降は選曲を含めつんくが全てを決定するわけではなくなった。
ただし、サウンド制作での妥協は一切しない。
■2004年以降
かつてのブームが一段落したが、つんくの忙しさはさほど変わらず。
同じマンションにスタッフが住んでいて電話一本で食べ物が届けられる(部屋を出る暇があるなら曲を書けとのこと)。
点滴などで疲労回復していたが、これでは良くないということで、生活を夜型から昼型(13時には仕事が始められる生活)へ。
気づいたら喉に違和感。

 サウンド制作とは直接の関連はないが、つんくは、ハロプロメンバーを精神的に育てることも使命=プロデューサーの仕事だと感じていた。モーニング娘。初期の頃のように直接の歌唱指導こそなくなったようだが、ことあるごとにメンバーへの「だめ出し」を行っていた。メンバーが雑誌のインタビューなどで、つんくからこんなことを指摘されたということを度々答えていた。また、これはメールでのやり取りだと思われるが、つんくはメンバーに対して、生活習慣から「卒業」についてまで、幅広く相談に乗っていた。これらの一部はメンバーのブログなどでも確認出来た。
 つんくの本についての話題に戻す。喉の違和感があり、ポリープの手術を行い、それでも違和感が残っていて、結果的に癌になった。この本にも書いてあるが、全ての歌手が喉頭癌になる訳ではない。しかしつんくは、仮歌や歌唱指導など、歌うことと同時に、上記のような多くの作業も行い続けた。これは本には書かれていないが、休養も取らず、ステロイドなどの薬品を使い続け、その疲労が、一番酷使していた喉に「来た」のだとしたら…
 シャ乱Qの活動で多忙を極めていた頃につんくは、注射などの治療で回復することを覚えた。また、喉の不調を治すためにステロイド吸入器を用いていた。健康のためと称してビタミンなどのサプリメントも飲んでいた。交際から結婚までの期間につんくは、これまでの薬漬けの生活を捨てるべく、自然食にこだわり出した。ハロプロ楽曲の歌詞に「ごはん」などの食べ物が出てくるようになった。結婚してもしばらくは、仕事第一で家庭を顧みない生活だったが、次第に、妻との時間を大切にするように心境が変化していった。かつてのつんくは、女子供に媚びないのがロックだと言っていたけれど、現在では、ジョンレノンとオノヨーコに習い、妻や子供、家族まるごとの俺の生き方もロックなのだと、変わった。
 それが早ければ、以前のような激務から開放されていれば、もしかしたら声を失うことはなかったのかもしれない。つんくが「こんなはずではなかった」と繰り返しているのは、そのような思いがあるからだ。
 この本には、病気について、シャ乱Qについて、そして、モーニング娘。について、つんく自身がどう関わってきたのかが書かれている。あのASAYANのオーディション企画が始まってからつんくは、シャ乱Qよりもモーニング娘。に関わる比重が高くなっていた。ハロプロ全体についても書かれているが、そのほとんどはモーニング娘。についてだ。さらに言えば、この本には、℃-uteスマイレージなど、現在でも活躍する(つんくプロデュースとしてデビューした)ハロプロのグループについて、一切書かれていない。つんくにとってのハロプロとは、モーニング娘。に始まり、モーニング娘。で終わった。それは、医者から止められてもモーニング娘。のニューヨーク公演のために飛行機に乗ったことからも分かる。
 2014年9月、喉頭癌の完全寛解を発表したつんくだったが、喉の調子は明らかにおかしいし声も変だったという。しかしつんくは、10月5日に行われるモーニング娘。のニューヨーク公演のために渡航の準備をしていた。家族を連れて何泊かの予定だった。10月15日には新曲『TIKI BUN』が発売される。これが最後のつんくプロデュースのモーニング娘。シングルとなった。公表されていないが、この時点でつんくモーニング娘。のプロデュースから離れることを決めているはずだ。
 喉の癌が再発したのは、モーニング娘。のニューヨーク公演の直前だった。主治医からの電話があり、癌が見つかったので今すぐ帰国して手術をしろという内容だった。しかしつんくは、この公演を見届けるのが自分のやるべきことだとして、公演後に帰国した。
 つんくにとってモーニング娘。は特別な存在だった。命を懸けていたと言っていいだろう。

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この秋に読みたい3冊

 つんくハロプロに関する本の紹介。こういう文章を書く場合、普通は全部読んでから紹介するのですが、実はまだ買っていません。まあ、ぼくが読みたい3冊ってことで。 まずはつんくの新刊。病気のため声帯を摘出したつんくは、もう歌わない。闘病の記録を綴るこの本では、これまでの音楽活動を振り返り、そして、これからの生きる指針を示す。ハロプロファンとしては、LOVEマシーン以降の超絶なスケジュールの裏話が興味深い。 NHKの国際的音楽番組「J-MELO」の本。モーニング娘。メンバー直筆のアンケートも面白いが、メインは小室哲哉つんくのプロデューサー対談。二人とも参加したことのあるASAYANの頃から現在まで。小室のつんく評が的確。そして、モーニング娘。追加メンバーについての、冗談みたいなエピソードが今となっては面白い。 初期モーニング娘。のダンス指導を行っていた夏まゆみ先生の本。2003年。安倍なつみファン必読! のはずなんですが、これも読んでいなかった。この機会に読んでみたい。

モーニング娘。の特徴とは #hps_jp

 一般的に女性アイドルは、女の子が歌って踊っていればそれだけでかわいらしいという、それだけの存在だ。しかし、モーニング娘。は違う。実際には、握手会を行うし、他社のアイドルタレントとやっていることは変わらないようにみえる。ルックスの良い「かわいこちゃん」の人気が高いのも事実だ。
 そうではない。根本が違うのだ。
 アイドルでありながら、いわゆる「アイドル」ではない。かわいらしい女の子が集団で踊っているのが「アイドル」だとすれば、モーニング娘。は様々な点で異質だ。「アイドルファン」のなかにモーニング娘。(を含むハロプロ)だけは応援しない層が存在することがそれを示している。
 モーニング娘。誕生以前にモーニング娘。は存在しなかった。モーニング娘。とはエポックであり、唯一無二の、いわば特異なグループなのだ。ではなぜ、モーニング娘。は、他と違っているのか。
 まず、キャラクター優先の人事がそうだ。創設時からこのグループのメンバーはオーディションによって選ばれているが、そのキャラクター(性格)はバラバラだ。なかには、他社では絶対に採用しない、「アイドル」とは呼べない者、美少女とは呼べないような顔立ちの者もいる。これは他社のアイドルグループでは、まずありえない。それこそが、このグループの特徴だ。「アイドル」にふさわしいと思えない人物が数年のグループ活動を経て「化ける」ことが、このグループにはよくある。個性を尊重し、伸ばす。それがアップフロントのやり方だ。そのやり方はモーニング娘。創設時から一貫したもので、例えばつんくの著書『LOVE論』に詳細が書かれている。
 そして、卒業システムの導入。新メンバーを定期的に加入させる一方で、将来のためにグループを旅立つメンバーがいる。創設時のメンバー福田明日香から始まった、この卒業システムとは、まずグループ卒業日を公表して、その日(卒業コンサートが開催される)までにきっちりと悔いの残らないように活動することだ。目標意識を持った集団のパワーはすさまじく、もちろん、グループが常に若返る。新人の教育にはそれなりに手間が掛かるが、人を育てるのがアップフロントの責務なのだし、その結果とんでもないスターが誕生することもあり、とても面白い。なお、卒業というかたちを取らないで辞めていったものは1997年の創設時から数えても、数名しかいない。
 音楽的には、サウンド優先の楽曲制作が挙げられる。モーニング娘。は同事務所の先輩、森高千里シャ乱Qの面白さ(キャラクタービジネスと言い換えてもいい)を女性グループに応用したものだが、サウンド面でも、例えば森高の楽曲に関わった作曲家やバンドマンなどを起用し、これまでの経験や人脈を生かしたクリエイティブを行う。元々アップフロントは音楽制作チームであり、さらに原版製作から興行(コンサート)まで自分たちで行えるノウハウを持つ集団だ。音楽を作り、届けるという点で一貫性がある。だから、モーニング娘。の楽曲は他社のアイドルグループよりも音楽評論家から言及されることが多い。そして、モーニング娘。のメンバーには、歌うこと、歌手であることが前提だと、徹底させる。上手いか下手かの問題ではない。志を持てということだ。基本的に口パクをしない(させない)ことは、その端的な表れだ。近年ではハロプロ研修生からの繰り上がりメンバーが増えてきて、ダンス(踊ること)に対する意識も加入前から高いのだが、基本は歌手であることが大前提だ。歌手であるという自覚がまずあり、アイドルとも呼ばれる。この順番が逆ではいけない。それがモーニング娘。であり、ハロプロなのだ。
 1998年にメジャーデビューしたモーニング娘。は、これまでの女性アイドルグループと異なっていた。これらの特徴はデビュー時から現在まで変わらないものだ。そしてそれは他のハロプロのグループにも受け継がれている。他社のアイドルグループもこれらの一部または全部を模倣しているが、元々はモーニング娘。がシステムとして開始し定着させたものだということを忘れてはならない。
 重要なのは、現在のような女性アイドルブームなどまったくなかった当時に、モーニング娘。がアイドルと呼ばれる存在となったことだ。
 当時、アイドルと呼ばれる女性歌手は過去のものとなっていた。だから、アップフロントは、それを作り直した。かつて存在した「アイドル」のようではあるが、似て非なるものたちだ。
 つんくおニャン子クラブ世代だから娘。はおニャン子っぽい。そのような言われ方がされたかもしれないけれど、もちろん直接の影響はない。見た目がそうだとしても本質はそこじゃない。

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モーニング娘。誕生前夜 #hps_jp

 ぼくの記憶が確かならば、これから書くことは真実だ。

 歌唱力では福田明日香だがトータルでは安倍なつみ
 安倍なつみをソロでデビューさせたいが、まだ早いだろうという認識がスタッフにあった。そして、オーディション落選者5名それぞれに捨てがたい個性や魅力があるので、グループ活動をやらせてみよう。モーニング娘。立ち上げのきっかけは、そのようなものだった。
 現在では想像できないが、モーニング娘。は、元々はアイドルグループではなかった。有名なエピソードなので簡単に書いておくが、ASAYANというテレビ番組のオーディション企画の落選者5名によって結成されたのがモーニング娘。だ。そのオーディションのタイトルは「シャ乱Q女性ロックヴォーカリストオーディション」。結果的に、オーディションのグランプリ平家みちよから人気を奪い取るかたちでモーニング娘。は躍進していった。
 若い女性のグループであればアイドルグループとなる。そうかもしれない。しかし、そもそものオーディションの目的がロック歌手を探すというものだったから、応募する者たちは「アイドル」を目指していなかった。だから、例えば、最も歌唱力が高かった福田明日香は違和感を覚えて、早々にグループを辞めていった。
 モーニング娘。が誕生する1997年以前に、女性アイドルを作って金儲けしようなどと考える者はいなかった。そんなものは流行っていなかったし、商売にならない。いたかもしれないが、テレビに出ていたのは若い女性歌手や若い女優。彼女たちはアイドルと呼ばれていなかった。
 いつの時代にもアイドルは存在する。それが、たまたま「アイドル」と呼ばれなかっただけだ。沖縄出身のダンスグループSPEEDでの一番人気は小学生の島袋寛子。プロデューサー小室哲哉が自分の恋人を売り出したと噂された華原朋美は若い女性たちの憧れの的となった。若い男性の視線は広末涼子のような女優へと向けられていた。
 ドリームズ・カム・トゥルー安室奈美恵のブームはカラオケブームだった。やたら高音を張り上げる歌が流行っていた。一方、小室哲哉プロデュースの安室奈美恵trfはダンス流行のきっかけともなった。
 当時、アイドルファンが喜んで応援したくなるような「アイドル」は、メジャーシーンで活躍していなかった。
 インターネットが普及する直前だったから、テレビの影響力がまだ信じられていた。モーニング娘。はテレビが生み出したブームだった。
 TBSやフジテレビの音楽番組の司会者だったコメディアン(お笑い芸人)のトークがあってモーニング娘。は面白おかしく取り上げられたが、元々はテレビ東京ASAYANという番組から彼女たちは誕生した。ASAYANの司会はナインティナインという芸人コンビだ。モーニング娘。の「。」を付けたのはナインティナインだ。彼らはモーニング娘。のメンバーが選ばれるより前の、ただの素人だった頃からの付き合いでもあった。
 モーニング娘。はオーディション番組ASAYANの番組内ユニットという側面もあった。名プロデューサーとして知られていた小室哲哉も、後にASAYANにて鈴木あみを手掛けることになるが、鈴木とモーニング娘。のシングル同時発売も、番組内対抗戦として演出していた。
 後に語り草となったこの対抗戦は、TK対つんくでもあった。その後LOVEマシーンでブレイクする、それ以前のモーニング娘。とは、つんくがプロデュースするという点において注目されていた。
 ASAYANは「オーディションバラエティ」。つまり、バラエティ要素を含む番組だった。バラエティだから、彼女たちの運命を面白がって見る視点があった。もちろん、彼女たちのファンは増えていっただろうし、ファン目線も当然あった。
 視聴者は、プロデューサーつんくの目線で、モーニング娘。という、その時点ではタレントになり切れていない素人集団の行く末を見守っていた。

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なっち34 #安倍なつみ生誕祭 #hps_jp

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安倍なつみ(コロムビアOfficial) on Twitter: "HappyBirthday!! http://t.co/uBM12MATbS"

 今日は、なっちこと安倍なつみ34歳の誕生日。おめでとう。計画では、安倍が35歳になる頃に再ブレイクする。その計画は着々と進んでいる。フジテレビの音楽番組の出張歌手となり、今年、安倍をテレビで見る機会が増えている。
 安倍なつみは現在の女性アイドルタレントのヘッドライナーだ。ヘッドライナーとは「天を取る者」を意味する。音楽フェスでのボス級の人物を指すこともある。安倍がヘッドライナー、すなわち現在の女性アイドルタレントのトップであることは、実は知られていない。
 モーニング娘。に憧れてメンバーになった者も、すでにグループを卒業している。現在のメンバーは、安倍が卒業して以降のモーニング娘。に憧れた。アップフロント以外のアイドルタレントにもハロプロの影響力(憧れること)は多大だが、安倍はすでにソロ活動を行っていて、直接の影響はない。
 ハロプロメンバーが挙げる、尊敬する先輩に安倍の名前が出ることも少なくなった。℃-uteのリーダー矢島舞美とアンジュルムの福田花音が安倍の名を挙げていることを確認できる。しかし、アップフロント以外のアイドルタレントを含めて、安倍の名を挙げることはなくなっている。もはや忘れられた。だいぶ前にアイドルタレントとしても活動を止めているから、そもそも知らないことだってある。
 安倍を含むモーニング娘。黄金期メンバーが一同に会し、かつての名曲を披露することが、たまにある。そのようなときに、安倍のパフォーマンスはまったく衰えていない。34歳になった安倍のことを「老けた」と言う者がいる。しかし、加齢による見た目の変化はパフォーマンスに悪影響を与えていない。いざ踊れば、そのアイドルイズムはいまだ健在だ。それを知らないことは、無知だ。
 近年の安倍は、歌手としての成長をCDに残している。確認したければ、それを聴くと良いだろう。安倍はモーニング娘。時代の人気だけでちやほやされているわけではない。それを知ることも重要だ。
 ℃-uteとは現在の女性アイドルタレントのトップ集団だ。アップフロント以外のアイドルタレントが℃-uteを尊敬していることはツイッターの書き込みでも明らかだ。その℃-uteのリーダーが安倍をリスペクトしていることを忘れてはならない。継承されることを知るべきだ。
 なぜ安倍なつみが現在においてもアイドルなのか。それは「不可解の象徴」*1だからなのかもしれない。堺正章の番組にて安倍は、かつてアイドルと呼ばれていたこと、それが良いことなのかどうかを悩んでいたことを告白していた。モーニング娘。とは元々はロック歌手オーディションの落選者だったからだ。

追記(8月23日)

つんく♂モー娘。(およびハロー・プロジェクト)のその後の快進撃は記憶に新しいところだろう。モー娘。は次々とヒット曲を連発。卒業と新メンバーの加入を繰り返し、グループの新陳代謝をしながら「プッチモニ」や「ミニモニ。」などの新グループを誕生させ、さらにメンバーをシャッフルするなど、今のAKB48グループにもつながる手法を確立させた。

 ハロプロやアイドルに詳しくない者の認識は以上のようなものだ。

ある日、「これから女性アイドルをやるぞ」と会長が宣言した。うちの事務所はアイドルなんてやったことが無い。みんな反対した。そしたら「本当のアイドルじゃない。アイドルもどきをやる」と訳のわからないことを言ってオーディションに落ちた女の子を集めてグループを作った。それが「モーニング娘」だ。このグループの原型はプエルトリコにある。プエルトリコにアイドルグループがあって、21歳を超えたら卒業させてまた新しい娘を入れるシステムで成功していた。今までの日本では、アイドルグループは一人抜けたら解散だった。会長はそんなリスクの高いことはやらない。どんどん卒業させて新しい娘を入れるプエルトリコスタイルのやり方は日本でも大成功した。つんくをアイドルプロデューサーにしたのも会長の戦略だ。

 これは一般的にはあまり知られていない、モーニング娘。誕生にまつわるエピソードだ。以下のウィキペディアにも関連する記述がある。

プエルトリコのメヌードという男性アイドルグループ (リッキー・マーティンが所属したことでも有名) を参考に、女性アイドルグループであるモーニング娘。の、メンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法を提案した。福田一郎の没後に開催された「お別れ会」では、卒業者を含めたモーニング娘。(但しハロー!プロジェクトをも脱退した福田明日香石黒彩市井紗耶香は出席せず)が、亡き“陰の恩人”を偲び、全員で「LOVEマシーン」を涙ながらに熱唱した。
福田一郎 - Wikipedia

 現在の、モーニング娘。以降の女性アイドルブームを知る上で、参考になる資料だ。しかし、これらは、安倍なつみの戦いの記録そのものではなく、あくまでも参考でしかない。これから書かれるだろう「ハロプロストーリーズ」のエピソードは、安倍なつみの記録だ。

*1:「不可解の象徴」とはストーイ・ワーナー博士の言葉。ファイブスター物語13巻参照のこと。