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モーニング娘。誕生前夜 #hps_jp

 ぼくの記憶が確かならば、これから書くことは真実だ。

 歌唱力では福田明日香だがトータルでは安倍なつみ
 安倍なつみをソロでデビューさせたいが、まだ早いだろうという認識がスタッフにあった。そして、オーディション落選者5名それぞれに捨てがたい個性や魅力があるので、グループ活動をやらせてみよう。モーニング娘。立ち上げのきっかけは、そのようなものだった。
 現在では想像できないが、モーニング娘。は、元々はアイドルグループではなかった。有名なエピソードなので簡単に書いておくが、ASAYANというテレビ番組のオーディション企画の落選者5名によって結成されたのがモーニング娘。だ。そのオーディションのタイトルは「シャ乱Q女性ロックヴォーカリストオーディション」。結果的に、オーディションのグランプリ平家みちよから人気を奪い取るかたちでモーニング娘。は躍進していった。
 若い女性のグループであればアイドルグループとなる。そうかもしれない。しかし、そもそものオーディションの目的がロック歌手を探すというものだったから、応募する者たちは「アイドル」を目指していなかった。だから、例えば、最も歌唱力が高かった福田明日香は違和感を覚えて、早々にグループを辞めていった。
 モーニング娘。が誕生する1997年以前に、女性アイドルを作って金儲けしようなどと考える者はいなかった。そんなものは流行っていなかったし、商売にならない。いたかもしれないが、テレビに出ていたのは若い女性歌手や若い女優。彼女たちはアイドルと呼ばれていなかった。
 いつの時代にもアイドルは存在する。それが、たまたま「アイドル」と呼ばれなかっただけだ。沖縄出身のダンスグループSPEEDでの一番人気は小学生の島袋寛子。プロデューサー小室哲哉が自分の恋人を売り出したと噂された華原朋美は若い女性たちの憧れの的となった。若い男性の視線は広末涼子のような女優へと向けられていた。
 ドリームズ・カム・トゥルー安室奈美恵のブームはカラオケブームだった。やたら高音を張り上げる歌が流行っていた。一方、小室哲哉プロデュースの安室奈美恵trfはダンス流行のきっかけともなった。
 当時、アイドルファンが喜んで応援したくなるような「アイドル」は、メジャーシーンで活躍していなかった。
 インターネットが普及する直前だったから、テレビの影響力がまだ信じられていた。モーニング娘。はテレビが生み出したブームだった。
 TBSやフジテレビの音楽番組の司会者だったコメディアン(お笑い芸人)のトークがあってモーニング娘。は面白おかしく取り上げられたが、元々はテレビ東京ASAYANという番組から彼女たちは誕生した。ASAYANの司会はナインティナインという芸人コンビだ。モーニング娘。の「。」を付けたのはナインティナインだ。彼らはモーニング娘。のメンバーが選ばれるより前の、ただの素人だった頃からの付き合いでもあった。
 モーニング娘。はオーディション番組ASAYANの番組内ユニットという側面もあった。名プロデューサーとして知られていた小室哲哉も、後にASAYANにて鈴木あみを手掛けることになるが、鈴木とモーニング娘。のシングル同時発売も、番組内対抗戦として演出していた。
 後に語り草となったこの対抗戦は、TK対つんくでもあった。その後LOVEマシーンでブレイクする、それ以前のモーニング娘。とは、つんくがプロデュースするという点において注目されていた。
 ASAYANは「オーディションバラエティ」。つまり、バラエティ要素を含む番組だった。バラエティだから、彼女たちの運命を面白がって見る視点があった。もちろん、彼女たちのファンは増えていっただろうし、ファン目線も当然あった。
 視聴者は、プロデューサーつんくの目線で、モーニング娘。という、その時点ではタレントになり切れていない素人集団の行く末を見守っていた。

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