もえぎのhtnb

萌えぎのエレンのメインブログです

カノンとおたく教授(予告編)

 「わーっ!」
 駅のホームに、風が吹いた。電車から降りたカノンは、とっさにスカートを抑えた。
 「誰かに見られた?」
 昼すぎの、郊外の駅のホームには駅員の他に誰もいなかった。スカートを気にしながら、カノンは駅の階段を降りていった。
 「あちゃー、これ失敗だったかも、でもなあ」
 水色のジャケットに白いブラウス、そしてチェックのミニスカート。ショートカットで胸も大きくない。二十歳を越えているのに中学生に間違われることもある、見た目が幼いカノンは、普段はもっと大人っぽく落ち着いた服装を心掛けているのだが、春になったので、久しぶりにスカートにしてみようと思ったのだ。
 弁当も販売している肉屋、鍼の治療院、自動車の整備工場などが並ぶ駅前をカノンは通り抜けながら、高揚を感じていた。
 「教授、私がこれから話すことを、聞いてくれるかしら?」
 広い通りから、住宅が並ぶ細い路地へと曲がる。しばらくして、古いアパートが建っている。そのアパートの階段を上り、カノンは玄関のチャイムを鳴らす。
 「教授、お久しぶりです」
 部屋から出てきたのは、背が低くて小太りの中年男性だ。
 「こんな汚いところに、わざわざ来てもらって悪いねえ…」
 「いえ、私が来たかったんです」
 狭い玄関には、茶色のスニーカーとスーパーマーケットの袋に入れられたごみが置いてあった。
 その部屋。うず高く積まれた雑誌の山、小さいテレビ、衣服が無造作に入れてある段ボール箱がいくつか、ベッド、そして、その部屋の中央に置いてあるこたつの上に置いてあるノートパソコンからは、佐野元春の歌が流れている。カノンに低い脚の付いた座椅子を差し出すと、教授はベッドに寄りかかるように、こたつに入った。
 「ぼくは、まだ寒さを感じていてね」
 「私も、ちょっとこの格好は早かったかなあって、来るときに思いました」
 カノンの太ももをチラリと見る教授。
 「そうだね、「日本一スカートの短いアイドル」だったかな?」
 「言わないでくださいよ、もう」
 「ここに誰かが訪ねて来るということが、ほとんどなくてねえ、ましてや、君のような若いお嬢さんがね」
 「もう若くないですよ」
 「うむ。君の10代は普通の学生の3倍くらい過密だったからねえ」
 「そうかもしれないですね」
 「コーヒーと紅茶、どちらがいいかな?」
 「コーヒー、ください」
 古びたガスレンジで湯を沸かす。カノンにはインスタントコーヒー、教授自身はティーバッグで紅茶を入れた。
 「これ、買ってきました」
 「おお、もえぎ野か。久しぶりだなあ。しばらく食べてなかった。ありがとう」
 「教授の、名前の由来ですよね」
 「その、教授ってのは、やめて欲しいなあ。もうぼくは、ただのひきこもりだよ」
 「いえ、私にとっては教授です。教授が萌えとヲタクについて書かれた論文を読んで、私も何か書いてみたいと思ったんです」
 「論文か。あれはまあ、同人誌みたいなものだけどなあ」
 「教授の萌え理論を応用して、論文を書いてみたいんです」
 カノンがポーチから取り出したA5サイズのメモ帳の表紙には、「ヲタの世界(アイドル論)」と書かれていた。
 「思いついたことをメモするようにしているんですけど」
 「ちょっと、見せてもらっても、いいかな?」
 メモ帳の1ページ目には「ヲタは素晴らしい!」と書かれている。
 「素晴らしい、か」
 「そうですよ」
 「そうか…」
 教授は、紅茶を一口飲んで、ため息をついた。そして、黙りこんでしまった。カノンは、そんな教授の姿をみて、どきどきしていた。懐かしさを感じていた。教授が何かを話し始めるときに、決まってこういう態度を取ることを知っているからだ。
 「ならば、話そう」
 そう言うと、教授は、うす汚れた天井をいったん見上げた後、ノートパソコンの画面を漠然と見つめながら、話し始めた。
 「おたくとは何か。あの後、ぼくは、そんなことを、ずっと考えていた。昼間でもカーテンを閉め切って、インターネットだけが窓となった部屋で、ぼくはずっと、そんな、くだらないことを考えていた。現在のぼくのように、誰にも会わず、自分の部屋に閉じこもっているようなネクラな人物を、おたくだと考えている、世間からはそう思われているけれど」
 「あ、それ、ネットでみたことあります。オタクって昔は差別されていたんですよね?」
 「差別は今でもあるよ。アニメや漫画の美少女に熱心になることを気持ち悪いと思う世間という奴は、今でも健在だ。それでも、気の合う仲間同士で延々と好きなアニメの話ばかりしている、嫌な奴をブロックして抹殺してしまえる、ツイッターなんかのお陰で、今では、アニメに好意的な発言で世界が埋め尽くされている、そう勘違いしている。それだけのことだ」
 「教授は、ヲタが嫌いなんですか?」
 「いや、そういうことじゃない」
 教授は立ちあがって、玄関へ行き、換気扇を回した。
 「空気が汚れているかと思ってね」
 「私、気にしてませんよ」
 「それじゃ、悪いけど」
 教授は、こたつの脇に置いてある小さな台にある煙草を取り、火をつけた。

 続くかどうかは未定。