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萌えぎのエレンのメインブログです

新刊『萌えと音楽』初頒布 12/31 #C95

 久しぶりにコミケ参加します。冬コミです。

コミックマーケット95(三日目)
日時:12/31(月) 10:00~16:00
会場:東京ビッグサイト
サークル名:はなごよみ
配置番号:東L04b

 今回の新刊は自分名義の個人誌ではなく、はなごよみ新刊同人誌『萌えと音楽』。主宰の押井徳馬(id:osito)との共著です。

新刊『萌えと音楽』


コピー誌

 同人音楽の女性アーティスト「同人アイドル」について、ライブ現場の模様など、彼女たちを知らない人たちに向けての入門書のような内容。そして、電波ソングについての考察。「萌えと音楽」がテーマの今回の新刊。ぼくは、つんく♂が萌えをどう語ったのかについて書いた。そして、つんく♂が言うロックについても書いた。これまでぼくが個人誌で書いてきた一連のハロプロワークスの最新バージョンです。

既刊

 ここでは、今回の冬コミにて頒布するぼくの既刊のなかからオススメを紹介。頒布する同人誌のラインナップについては上記のはなごよみブログをご覧ください。

NAGANO!【改訂版】

 ファイブスター物語のエッセイ。どうしてぼくが永野護のファンでいられるのかについて書いたもの。ZガンダムTMネットワーク小室哲哉の時代を振り返る。ファイブスター物語モーニング娘。との共通点について初めて具体的に書いた文章も掲載。
 ※改訂版はオレンジの表紙となっています

モニ・セイクレッド ~アイドルまとめサイトの作り方~

 ぼくがファイブスター物語に登場する人類記憶装置「モナーク・セイクレッド」に倣い、ハロプロまとめ「モニ・セイクレッド」を作成し続ける本当の理由。そこには驚くべき真実が?
 TogetterによるまとめTIPSを書くつもりが、とんでもない方向へ行ってしまった。上記『NAGANO!』の実質的な続編。

#ハロプロ超帝國 ~モーニング娘。がGTMである理由~

 ぼくがかえでぃー(モーニング娘。加賀楓)にファイブスター物語を説明する。そのような内容の対話篇。ファンフィクション。超帝國。ミラージュ騎士団モーターヘッドゴティックメードの違い。そして、安倍なつみモーニング娘。は何者と戦っているのか?
 過去にコミティアでのみ頒布した幻の個人誌、ついにコミケ初頒布します。
 ここまでの三冊は全て繋がっていて、そして、今回の新刊『萌えと音楽』に掲載した文章が、その最新版となっております(ファイブスター物語関連の記述は無し)。

頒布既刊一覧

※自作のみ
研究日誌
綾波レイはどこへ消えた?
あまJ
Rose Petals
NAGANO!【改訂版】
モニ・セイクレッド ~アイドルまとめサイトの作り方~

Togetter

冬コミ参加レポまとめ

about

映画『花の詩女』ブルーレイはいつの日か #fss_jp

 2012年に公開された映画『花の詩女 ゴティックメード*1はブルーレイ等のパッケージメディアとしてリリースされない。この映画の監督である永野護は何度も言っている。未見の方に説明しておくが、この『花の詩女』とは永野の漫画『ファイブスター物語』(以下FSS)の劇場アニメ映画だ。永野の初監督作品となる。
https://storage.mantan-web.jp/images/2017/11/05/20171105dog00m200020000c/001_size9.jpg

 パッケージメディアとして発売しない理由について永野は、とにかく劇場で見て欲しいからだと繰り返す。上記の記事が初めてではない。幸いにも、過去の映画の再上映を企画するドリパスのお陰で、この映画はこれまでに何度も上映されている。今月にも全国での上映が企画または決定されている。興味のある方は劇場でご覧頂きたい。詳細については以下を参照のこと。

 ドリパスの上映企画は、まず、上映館と日時が発表され、見たい者がチケットを予約。その予約が一定数を超えた時点で上映決定となる。これまでに何度も上映企画が成立しており、もう一度見たいという熱心なファンによって現在でも上映リクエストが行われている。だから決してこの映画は「コケた」訳ではない。にも関わらず、監督の永野は、この傑作をブルーレイとして売り出すつもりが全くないと言う。なお、FSSの最初の劇場アニメに永野は関わっていない。これには複雑な理由があり、ここでは割愛するが、この最初の映画はブルーレイとして発売されている。

 ここまでが前置き。今月発売の月刊ニュータイプに掲載されたFSSの1ページ目、扉には、今回のドリパス上映企画に関連して、『花の詩女』の音響や効果音についてのこだわりエピソードが書かれていた。ネタバレになるので詳しくは書かないが、ハリウッドレベルの緻密な仕事だったと永野は振り返っている。実際に劇場でこの映画を見たぼくは、なるほど、あの怒涛の音響はこうして出来上がったのだと驚いた。そして、以前からぼくが考えていた、ブルーレイとして出さないのなら、せめてドラマCD(まだビデオデッキが普及していない大昔にはアニメ作品の音声のみのレコードが発売されていた)で出して欲しいという願いも、叶うことはないのだろうと悟った。あの音は優れた劇場であってこそなのだろうと。
 そう言えば昔は効果音のレコードというものがあったと思うけど、今でもあるのだろうか? 『花の詩女』の効果音のみ収録したCDでもいいからリリースして欲しいとも思ったのだけれど。

あくまでも個人の感想ですが

 本音を言えば、『花の詩女』ブルーレイは是非とも出して欲しい。ぼくの考えだと、出さないのはリテイクしないと駄目だと永野が考えているからだと思っている。そのためにはスタッフを再結集しないといけないのだが、簡単には出来ない。当然、FSSの連載も止まるだろう。だから、それは次回作のFSS劇場アニメ映画制作まで待っているのだろうと。なお次回作は3159(年表に書かれている星団暦3159年のエピソード)だと思う。これはインタビュー等で永野がそれとなく発言していたからだけど、実際に映画を作るという話は、まだない。作りたいという願望はあるとのこと。
 FSS映画の次回作が3159、すなわちミラージュ騎士団によるアドラー星への武力侵攻となれば、間違いなく大規模なGTM戦闘となるので、作画が大変になることは明白だ。『花の詩女』のように永野ひとりでメカ作画をこなすという訳にはいかない(あの一連のシーンだけでも相当な手間と時間がかかったはず)。だから、あの映画は次回作制作のための宣伝にもなっているとぼくは考えている。こういう作画演出でやるから興味あるアニメーターは覚えておいてね! って。俺が描くロボットってのはこう動くんだぜ! こういう音が鳴るんだぜ! それは作者自身が映像にするまで全く分からなかった。だから、それを分かってくれ! また映画作るからさ! ってことだったんじゃないか。
 もしFSS映画の新作を作るとなれば、さすがに『花の詩女』ブルーレイを出せと角川から言われるだろうと思っている。今月のニュータイプを読んだとき永野がハリウッドという言葉を出してきたときにも感じたけれど、ハリウッド映画はパッケージ化することでの利益を前提として映画作るでしょ? どうして永野はそこだけ無視している? などと愚痴を書いても仕方ない。とにかく、映画を作るとなれば制作費の問題もあるので売れるパッケージは出して資金を得る。そのために、再度スタジオを組んだときに、まず『花の詩女』リテイク作業を行い、パッケージで出す。そして、そのスタジオで次回作の制作に入る。
 ぼくが『花の詩女』パッケージはリテイクありきとしているのは、これは直したほうがいいと思うカットがあった(これはあくまでも個人の感想であり、また、そのために作品のクオリティが下がってしまっているということはないと断言しておく)、だから直したいだろうと永野が考えているだろうと感じたからだ。そうでなくとも、あの作者ならリテイクしたいカットが絶対あるだろうとも想像している。だけど、リテイクなどしなくてもいいから出して欲しいというのが、本当のところだ。
 劇場での迫力や体験が100だとすれば、自宅のテレビで見ると、環境にもよるけど60~30程度に下がってしまうと思う。けれど、このまま永久に出さないってことは、さすがにないと思う。今ではドリパスがあるから、例えパッケージ化されたとしても上映は繰り返されると思うし、是非とも劇場で見たい映画だという感想は変わらない。
 それにしても、ここ数年の永野護の仕事の忙しさを見ると、次回作の映画はかなり先の話になると思う。なにせ連載を休まず(これまでのFSSは度々休載していた)、デザインズの新作の準備もある。カイゼリン立体モデルの発表、上記の記事は約一年前だが、この発売もいまだにアナウンスされていない。

追記

 後で追記する予定。ある程度書いたらツイッターで告知するつもり。
 永野護がブルーレイを出さないのは、自宅のテレビで見ただけで語って欲しくないという考えだと思う。あまり映画を見ないぼくでも、例えば『シン・ゴジラ』をテレビで見たときに、あの劇場で体験した感動が減衰されてしまったと感じた。ぼくがブルーレイとして出して欲しいと書いたのは、自宅で見たいということと、興味のない友人に貸して、見て欲しいという思いもある。しかし、劇場とは程遠い家庭用のテレビで見て、この程度かと思われてしまうかもしれない。それを永野が望まないという気持ちは、分かるつもりだ。
 多くの星団民*2は、それを分かっているから、ブルーレイで出さなくても構わないし、またドリパスにリクエストしよう。ちょっと遠くてもいいから劇場に見に行こう。そうなっている。ぼくのようにブルーレイを出してくれと言う奴は、あの映画の本質を分かっていない愚か者だということになる。

『花の詩女』公開当時の予告編動画

関連する過去のブログエントリー

過去に書いたFSSエッセイ個人誌

about

*1:公式ウェブ(http://gothicmade.com/) / 花の詩女 ゴティックメード - Wikipedia

*2:ファイブスター物語の世界、ジョーカー太陽星団で暮らす人民を指す言葉だが、FSSファンは自分たちをそう呼ぶ。

語られなくなった安倍なつみ

江連博士の日記から

つんく♂アップフロント

 モーニング娘。についてぼくらが知らないこと。それは、プロデュースするのはつんく♂だが実際に売り出したのはアップフロントという芸能プロダクションだということ。例えば、「安倍なつみをメインに売り出すためにモーニング娘。が結成された」というぼくらの記憶は、つんく♂の意志ではなくアップフロントの戦略によって植え付けられたものだった、ということだ。
 モーニング娘。を作ったのはつんく♂だ。テレビ東京ASAYANという公開オーディション番組の企画。小室哲哉がプロデューサーとしてヒットを連発していた時代だった。ASAYANでのシャ乱Qが関わるオーディションのなかで、オーディション落選者をつんく♂がプロデュースする流れとなり、モーニング娘。が生まれた。
 これまでぼくらは、プロデューサーがどんな仕事を行っているのかを知らなかった。本やインタビューなどの、つんく♂の発言を読むと、それが良く分かる。最近のつんく♂は、モーニング娘。について振り返ることが多い。ハロプロの総合プロデューサーを降りた彼の発言から、これまで知られなかった新事実が読み取れる。
 声帯摘出により声を失ったつんく♂は、まず、著書『だから、生きる。』(2015年)にて、多忙を極めたプロデューサー時代を振り返る。自分の意志で何でも決められることが快感で、休む時間が無かったけれど夢中になった。そして、身体が悲鳴を上げていた。
 つんく♂の著書、そして『モーニング娘。 20周年記念オフィシャルブック』(2018年)に掲載された彼のインタビュー。近年のつんく♂の発言の要点は以下の通りだ。

モーニング娘。について、メンバー選考、作詞作曲、レコーディング、サウンドの方向性、ダンスやコンサートの演出まで、ありとあらゆる決定を行った。
モーニング娘。楽曲はシャ乱Qでは出来なかった100%つんく♂サウンドと呼べるものだった。
モーニング娘。の楽曲は、その時点でのメンバーの人物像、キャラクターに当てはめて書かれたものであり、新メンバーの加入によって変わっていくものでもあるが、例えば、その歌詞の登場人物(主人公)の性格は、意外と変わらない。
安倍なつみなど、センターとなるメンバーを贔屓しては、いなかった。
デビュー当時、安倍なつみを推していた(安倍を中心に売り出していこうと考えた)のは、つんく♂ではなく、当時のモーニング娘。マネージャーであった和田薫
メンバーの選考について100%つんく♂だったのは4期メンバーまで。
LOVEマシーン」のヒット以前は、つんく♂の好きにやらせるという、のんびりした空気だった。
アップフロントハロプロ研修生(当時のハロプロエッグ)を重要視していなかったので、エッグからモーニング娘。メンバーへ昇格させることが難しかった。
つんく♂ハロプロ研修生(エッグ)のメンバー、全ての人となり、キャラクターを把握していた。
ここまでがハロプロ総合プロデューサーだった頃のエピソード。
プロデューサーを降りたのは病気のせいではなく、自身が描くハロプロアップフロントが目指すところが違ってきたため。

 ハロプロの総合プロデューサーを降りてから、つんく♂は、ハロプロについて、ほぼモーニング娘。についてしか語らなくなった。著書にも書かれているが、モーニング娘。は「音楽人生の半分以上を賭けてきた」存在だと言う。『オフィシャルブック』ではモーニング娘。を「もう1人の僕」だと言う。Berryz工房℃-uteなど、つんく♂プロデュースのハロプログループは数多くあるが、それらについて彼が語ることは、無くなった。彼にとって、モーニング娘。は特別なものなのだと、ぼくらは気付かされた。
 つんく♂ハロプロの、モーニング娘。の総合プロデューサーから離れて、現在のモーニング娘。はどうなっているのか?
 つんく♂モーニング娘。をプロデュースする際に重要視していたのは、自分を驚かせてくるような新メンバーを探して加入させること。メンバーから刺激を受けて曲を作ること。16ビートのリズム感を教えること。ハロプロの総合プロデューサーを降りて、現在ではハワイ在住のつんく♂は、以降に加入したモーニング娘。新メンバーについて詳しくなく、曲の「当て書き」が出来ないことを少し悔しがっている。
 つんく♂が他のプロデューサーと違っていたのは、自ら仮歌を録音することだ。初期にはレコーディング時にマンツーマンで指導していた。それは、陶芸家が弟子にその技を相伝する行為に近い。喉の調子が悪くなり仮歌の収録を止めるまで、彼は仮歌を録音し続けた。結局、喉頭癌で声帯を失うこととなった。彼は命を削ってハロプロを作ってきたのだ。
 2015年から、ハロプロつんく不在の穴をどうやって埋めるか、必死だった。本題ではないので詳しくは書かない。
 モーニング娘。'14のニューヨーク公演。これはプロデューサーつんく♂の最後の仕事だった。翌年の2015年から、つんく♂モーニング娘。に楽曲を提供するソングライターとしてモーニング娘。に関わるようになった。他のハロプログループに曲を書くことは、ほとんど無くなった。
 モーニング娘。'15からは、つんく♂のプロデュースでは無くなった。ぼくらはこれを、富野由悠季以外の監督のガンダムのように感じ取って、見続けている。ガンダムとは富野監督作品のみを指すというファンがいると聞く。
 最新のモーニング娘。のアルバムには、つんく♂楽曲が多く収録されているのだが、それまでの「Produced by つんく♂」と表記されていた頃と比べて、どこか物足りなさを感じてしまう。全体的に似たような曲が続く。聞きやすいかもしれないが、「Produced by つんく♂」ラストとなったハロプロ研修生のファーストアルバム(2015年発売)のような、鮮烈な印象とは程遠い。

安倍なつみの尻尾

 ところで、ぼくらの記憶だと、モーニング娘。の中心人物は、グループのマザーシップとも称された安倍なつみだった。どう見ても、そのように感じられた。「ふるさと」までのモーニング娘。楽曲は、安倍なつみを主人公として描かれたものだと思っていた。だからぼくらは、プロデューサーのつんく♂自身が安倍にかなり入れ込んでいたのだと思っていた。ところが、最近のつんく♂の発言を読むと、安倍なつみをそこまで高く評価していないことが気になった。
 ハロプロ20周年ということで、現在のモーニング娘。メンバーが歴代の先輩についてインタビューなどで語ることが多いのだが、安倍なつみを偉大な先輩だと発言する者が一人もいなかった。
 安倍なつみの名前を挙げるモーニング娘。現役メンバーが居ないことについては、とりあえず無視する。彼女たちの自由だからだ。勝手にすればいい。しかし、つんく♂安倍なつみについて、さほど絶賛していないのは、意外だった。
 しかし、「LOVEマシーン」ヒット後に刊行されたつんく♂の著書『LOVE論』(2000年)を読み返してみると、つんく♂安倍なつみ評は、当時から現在まで、変わっていなかった。この著書では、安倍を森高千里つんく♂にとってはアップフロントの先輩)と同様の「敷居の高い女」と称するが、要するに頑固なのだと言う。2018年の『オフィシャルブック』のインタビューでも、安倍=頑固と答えている。その点で、つんく♂の発言は一貫している。
 その前の時点、モーニング娘。結成の経緯について、つんく♂はこれまでに何度も語っているが、ハロプロの総合プロデューサーを降りてから、その発言のニュアンスが微妙に変わってきた。もう、ぶっちゃけても良いだろうという感じだ。『オフィシャルブック』のインタビューの冒頭、つんく♂は、こう語る。マネージャーの和田薫安倍なつみを中心に売り出すと息巻いていた。和田はシャ乱Qのマネージャーでもあった。和田の仕事がなければシャ乱Qのヒットはなかった。つんく♂は世話になった和田に恩返しをしたいということで、和田の意向を汲み、モーニング娘。のプロデュースを引き受けた。
 プロデューサーであるつんく♂自身、安倍なつみをメインに売り出すとは一言も言っていないのだ。これがモーニング娘。の真実だ。
 初期のアップフロントの戦略で、ぼくらは安倍なつみこそがモーニング娘。だという記憶を持つ。しかし、実際には、そうではなかった。安倍の人気が高いことは嘘でも幻でもない。だけどそれは、コンサートでなっちコールを繰り返すぼくらだけが知っている。それは、ぼくらが共有する体験談だ。
 安倍なつみ後藤真希、そしてハロプロのソロ歌手として最も有名な松浦亜弥。ぼくらは、この3名を「御三家」として特別視するけれど、つんく♂は誰も贔屓していないし、彼は、あの頃は良かったというような、過去の栄光にすがるような発言をしていない。『オフィシャルブック』でのつんく♂インタビューでは、どの時代のモーニング娘。が良かったと優劣を測るようなことはなかったし、現在でも過去の曲は古びていないのだと、いわば、モーニング娘。全肯定を行っている。
 そのようななかで、ぼくらは、ずっと勘違いを続けてきたのだろうか。
 ぼくらはこれまで、全てのハロプロメンバーにとって安倍なつみとはアークマスター(ここでは精神的支柱を指す)となっているものと、信じて疑わなかった。2018年現在、そういうふうには、なっていない。ぼくらがそう信じて疑わなかったのは、現在のモーニング娘。メンバーからリスペクトされている高橋愛を、それほど高く評価していなかったからだ。正当なものの見方ではないことは承知している。現在の若いファンにとって重要な、いわゆるプラチナ期が、ぼくらにとっては退屈でしかなかった。
 高橋愛が絶賛されて、安倍なつみが無視されている。そのように感じるから、ぼくらは歴史の改変だと叫んだ。最近の安倍は育児休暇中であり、他のモーニング娘。OGと違って芸能活動を控えている。そして、ハロプロ20周年として多くのモーニング娘。OGが積極的にインタビューに答えているなかで、安倍は多くを語らない。現在でもモーニング娘。現役メンバーに言及しコミットしているモーニング娘。初代リーダー中澤裕子とは対称的に、安倍なつみは沈黙している。それは、もしかしたら、彼女の願う世界だったのかも、しれなかった。
 安倍なつみのファンとして、思うところがあったので、ここまで書いたのだが、冷静ではないことを分かって頂けるだろうか?
 現在のハロプロについて、ぼくらは何を見ているのか。興味が無くなったわけではない。無理してハロヲタを続けているわけでもない。そして、ぼくらがハロプロ以外のアイドルに夢中になることは無い。ハロプロと同じアップフロント所属のアプガや吉川友であれば見ることはあるかもしれないが、ハロプロ特有の「癖」にすっかり馴染んでしまっているぼくらは、ももいろクローバーやAKBのような他社のやり方が好きになれない。アイドルファンのなかにはハロプロだけは見ないという者がいる。だから、ハロプロだけを見続けるぼくらには理由がある。
 ぼくらにとってモーニング娘。メンバーとは、安倍なつみからバトンを託された後輩なのだから、たとえ彼女たちから安倍の名前が出てこなくても、決して無視出来ない。
 そのように考えるぼくらは、いわば安倍なつみの尻尾だ。

イベント「おもしろ同人誌バザール・プチ」参加 8/11

久しぶりに同人誌頒布イベントに参加します。新刊はありませんが、よろしくです。既刊個人誌の頒布、そしてフリーペーパーを配布する予定です。

おもしろ同人誌バザール・プチ
8月11日(土)
12:00~18:00
大崎駅南口改札前自由通路​「夢さん橋」
参加サークル名:はなごよみ

イベント概要

頒布個人誌

モニ・セイクレッド ~アイドルまとめサイトの作り方~
ハロプロまとめサイトの作成ノウハウ

NAGANO!
ファイブスター物語の紹介

フリーペーパー

語られなくなった安倍なつみ
モーニング娘。に興味のない者にとって、モーニング娘。とは謎でしかない。なぜ、いまだに活動しているのか。どうして人気があるのか。全く分からない。モーニング娘。が何者なのか、ぼくらは知らない。モーニング娘。が何者なのか、それを記しておくことは重要だ。それはあまりにも膨大な記述となる。そこで、近年のつんく♂の発言から気になるものを取り上げてみる。

about

つんく効果

つんく効果」という言葉があって、ギョッとした覚えがある。つんくプロデュースであれば、一見つまらなくとも最後にはつんく効果による霊験あらたかな力が発揮されて楽曲が面白くまとまるだろうという意味らしい。
このBerryz工房についての批判の代表的な文章は、彼女たちの音楽活動が始まって日ならずして、僕に届いた手紙の内容に尽きる。つまり、「つんく作品を期待して見ていたのに、Berryz工房はなんだ! CDを若い連中の教育に利用している!それは作品作りではない。音楽に対しての冒涜だ!あなたは創作者の立場を放棄したのか!」
が、Berryz工房がデビューして思うことは、時には、楽曲制作を若い人の教育機関として利用させていただいても良いのではないか?という感触であり、それは、今でも変わっていない考えである。この僕の思い切りが、Berryz工房の不幸と、ハッピーさを生んだ。そのハッピーさの部分に、Berryz工房故に手に入れることができた成果がある。しかし、その成果が、僕に関係のない部分での成果であると言うことが口惜しい。
ハロー!プロジェクトは、いまや芸能であり、かつ、かってのように学芸レベルのものであるという両極を備えたジャンルとして成長してしまっている。今後は、この広いテリトリーの中で業務をこなしていかなければならない時代に突入している。かって、小室が、TVというメディアに出会ったと同じ変革の時代に入っているのだ。 表面の見え方は違うが、変革としては、同質の問題を含んでいる時代なのである。その時代を迎えた現在、アップフロントでさえも、そこは、大人としての偉い人々の固りになってしまっている。そんな大人たちだけの発想で、若い人たちに見て貰えるような作品は作ってはいけない。
革新的な作品を作る事ができるスタッフというのは、所詮は、三十代までである。それは、かってのアップフロントでも、そうであったし、そうして来たのだ。が、大人は、自分の主権を奪われることが怖いために、若い人の参加を危険視する。若いスタッフに任せて、もっと巨大な成功を手に入れれば、そのピンハネだけでメシが食えるとは思わないのだ。それでは恥かしいし、現場としてはヤバイから……と。しかし、浜崎あゆみを使ってみせるプロダクションの大人たちを笑う人はいないだろう。それが、まず、芸能の世界の生き方である。 そして、もう一方の学芸レベルということでは、確実に生き残る作品を創作するという堅実さである。モーニング娘。のように……だ。
平成世代は、僕のような“おじさん”にとっては、異星人である。僕は、Berryz工房の詞も曲も大嫌いだ! が、その平成生まれの少女たちの存在を手に入れていかなければ、
 U F A は ヤ バ イ ヨ ! 
ということになる。

10年前の文章をそのままドロップ。ぼくの心境は驚くほど変わっていない。

about