もえぎのhtnb

萌えぎのエレンのメインブログです

ハロプロ楽曲大賞もえぎの投票内容

 年末恒例のハロプロファン有志のイベント、今年もエントリーしてみました。なお、今年から「楽曲大賞投票サイト」へのユーザ登録が必須となりました。

第14回ハロプロ楽曲大賞'15
http://www.esrp2.jp/hpma/2015/
楽曲大賞投票サイト
https://tonkotsu-music-award.ssl-lolipop.jp/

 では、自分のエントリー内容を。

楽曲部門

1. 大器晩成


 イントロから強烈なインパクトを感じる、ファンキーなナンバー。スマイレージから心機一転、アンジュルムと改名した彼女たちの再出発を成功させた。コンサートなどの映像を見てみると室田瑞希の熱唱→佐々木莉佳子のジャンプで盛り上がりが最高潮に達する。作詞作曲は中島卓偉。元々は卓偉のアルバムの曲だったがアンジュルムの一発目にふさわしいということで急遽リアレンジされた。その楽曲制作の過程はYouTube番組「MUSIC+」にて確認することが出来る。編曲を行う鈴木俊介のギター演奏などのレコーディング風景、普段ファンが見ることのないトラックダウンの様子など、見所が満載。それら一連のドキュメントすべてに関わる、レーベルマネージャー橋本慎の仕事ぶりが熱い。2015年に入って、つんくハロプロから離れたことで、ぼくは楽曲に対して語ることを止めようと考えたこともあったが(そもそもぼくは楽曲について書くのはこのハロプロ楽曲大賞へのエントリーだけなのだが)、正直、この曲があったからこそつんく不在の一年を乗り切ることが出来た。CDに収録されたカラオケバージョンを含めて、今年、一番聴いた曲。ハロプロファンのみならず、すべての音楽ファンにお勧めしたい。

2. 夕暮れは雨上がり


 今年、つんくハロプロに提供したモーニング娘。の楽曲はどれも素晴らしく、どれを選ぶか迷う。だから、好きなイントロで選んだ。鈴木俊介編曲。

3. ドスコイ! ケンキョにダイタン


 ギターに和太鼓の組み合わせが面白い。カラオケだけ聴くと重低音が響くへヴィでメタルな印象なのだが、ボーカルが乗るとハロプロ楽曲になる不思議。この曲を作った星部ショウは正体不明の人物。

4. ラーメン大好き小泉さんの唄


 元々はシャ乱Qの楽曲として有名な『ラーメン大好き小池さんの唄』。こぶしファクトリーに与えられたトラックも原曲同様、ソウルフルで勢いがある。ダンス☆マンのいい仕事。

5. 風を感じて


 なっちとうとう結婚するのか、愛する男を故郷の室蘭へと連れて帰ってきたのかと思わせる曲だけど、実際はどうなのか? 楽曲の仕上がりは最近の安倍なつみらしく、上質なポップソングだ。

MV部門

1. 夕暮れは雨上がり


 冒頭とラスト、佐藤優樹のエアピアノに象徴される、しなやかで美しいMV。ところで、このMVに映っている、工藤遥よりもさらに短いショートカットの女性。モーニング娘。のメンバーではない謎の人物なのだが、彼女の存在感が普通じゃない。

2. 青春小僧が泣いている (Another Ver.)


 舞い上がる制服。障子を破る。これまでのモーニング娘。のMVにはないエロティック。それはアニメの少女革命ウテナピングドラムに似たものだったのかも知れない。それを差し引いても、彼女たちが制服を着て踊ることが珍しい。

3. イマココカラ


 劇場版プリキュアとのコラボMV。かつて後藤真希田中れいなセーラームーンに憧れたように、現在のモーニング娘。メンバーはプリキュアに憧れた世代だ。彼女たちにとっても嬉しいことだろう。

推しメン部門

安倍なつみ

 ハロプロ卒業メンバーの中で歌手活動を続けている数少ない人物。今年の主な活動はコンサート。ミュージカルのような歌唱もあればポップソングも歌う。あまり後輩にコミットすることはないがアンジュルム福田花音の卒業時には自らのラジオ番組にゲストとして招いた。安倍のラジオ番組は基本的にゲストを呼ばない。また、安倍自身は里山イベントのようなアップフロント総出演のイベントに出席することがほとんどない。おそらく、例えば中澤裕子のように、直接後輩と絡んでいなくともその存在が伝えられているようなことはない。安倍なつみを知らない、彼女のパフォーマンスを見たことのないハロプロメンバーは少なくないかもしれない。そうであったとしても、ハロプロにとってのリビングレジェンドとして、歌手活動という将来の選択があるのだということを、安倍は後輩に示している。そうであって欲しい。ぼく個人としては彼女のコンサートへ行くことはなくなり、ファン活動は皆無だが、ラジオを毎週聴いている。ぼくにとっての安倍なつみはラジオの人だ。日曜の夜のラジオだけは彼女と会える場所なのだ。今はそれでいい。

お知らせ

 2015年のハロプロも色々ありましたが、特に印象的だった、つんく佐藤優樹のエピソードを簡単にまとめた新刊を出しました。下記リンクをよろしくです。通販もあります。

 これまで出した個人誌は以下をご覧ください。

関連Togetter

新刊「Rose Petals」初頒布11/23文学フリマ #佐藤優樹 #つんく #hps_jp #bunfree

 11月23日、文学フリマにて新刊を頒布します。

 この本はエピソードガイドだ。つんくが命を懸けて作り上げたモーニング娘。誕生の経緯。声を失ったつんくが何を考えていたのか。そして、今後のモーニング娘。にとっての最重要人物である佐藤優樹の思い。これらのエピソードを簡単にまとめた。壮大なハロー!プロジェクト物語の、ごく一部分でしかないが、今、最も知るべきことだ。
 今回、「ぼくはこう思う」という書き方を一切しなかった。モーニング娘。が好きで、ハロプロが好きな自分が、今後、何を伝えられるのだろうかと、ずっと考えていた。その答えのひとつだ。
 ぼくの友人に宛てたメッセージ。モーニング娘。といえば安倍なつみだろうという世代に向けて、現在のモーニング娘。がどうなっているか、いちいち説明はしないけれど、つんくハロプロのプロデュースから離れたことや、佐藤優樹という面白い子がいることを、伝えておきたい。そのような気持ちで書いた。
(あとがきより)

 ということで、最近のブログ記事を再構成した本です。細かい修正や全体的な見直しを行いました。通して読むと新たな発見があると思います。書き下ろしの文章もあります。モーニング娘。ファンやハロプロファンに読んで欲しいのはもちろんなのですが、当日は埼玉(モラージュ菖蒲)で里山イベントが開催されていますので、無理して来いとは言いません。むしろ、ハロプロファン以外の方々に是非とも読んで頂きたいです。立ち読みコーナーがあるので読むだけなら無料です。よろしくです。


書名「Rose Petals」
コピー誌
ハッシュタグ #hps_jp
20ページ
100円


※上記ブログエントリーに参考文献リンクあり(冊子未掲載)

 頒布サークルは「はなごよみ」。ぼくも参加します。当日はぼくの既刊も頒布。詳しくは下記の「はなごよみ」公式ブログまたはitem カテゴリーの記事一覧 - 萌えぎのエレン同人誌infoをご覧ください。

第二十一回文学フリマ東京
http://bunfree.net/
http://bunfree.net/?tokyo_bun21(会場内マップあり)
https://c.bunfree.net/c/tokyo21
日時:11/23 11:00~17:00
会場:東京流通センター 第二展示場
サークル名:はなごよみ
配置番号:キ-04

 正かなの本も多数取り揃えていますので、そちらもよろしくです。先日行われた文字フリマ(もじふりま)にて好評だった新刊「旧字旧かなの本は作れるのです!」も頒布します。

レポート



 ということで、レポートを追記しようと思ったのですが、当日ぼくの具合が良くなかったので、あまり書くことがない。具合が悪いというのはいつものことで、文学フリマのようなイベントに参加するときにハイになっていたのが、今回はどういうわけか「普段通り」だったっていうことなんですが。
 グダさんのガンダム本は相変わらず人気。「はなごよみ」の場所がいわゆる壁サークルだったので居心地が良かったこと。午後になってすぐ近くのサークルに東浩紀と娘さんが来ていて、その娘さんがずっと何かおしゃべりしていたこと。斧屋さんと久しぶりに世間話をしたこと。せきねさんと今後のアイドル同人誌界隈についてちょっとした話をしたこと。文学フリマのおかげで会場にWi-Fiが常設されていたこと。それと、ぼくが遊びに行っているときにぼくの個人誌が売れたこと。御礼を言いたかったこと。それくらいしか覚えていません。


 文学フリマが終わって、原宿のさゆロス展に行ってきたのですが、女の子の部屋に入ってしまった、そこが男子禁制のように感じてしまって、逃げるようにその展示室から出てしまった。

 写真撮影OKだったのですが、外から覗き見るような写真しか撮れなかった。

 同行した押井さんは少女の感性を持っているので、楽しんだようでした。

佐藤優樹と薔薇の花 #hps_jp

 オーディションでつんくが「フォトジェニック賞をあげたい」と評価したモーニング娘。の10期メンバー、「まーちゃん」こと佐藤優樹は、つんくが言う通りの美少女である一方で、事あるごとに「鬼ごっこがしたい」と答えるような子供っぽいキャラクターだ。そして、常日頃から何を言っているのかよく分からないことで知られている。それは、他人にとって分かりづらい例えを用いたり、彼女独自の言葉を使うからだ。緊張することを「緊張がポクポクする」、先輩である道重さゆみ田中れいなのことを「みにしげさん」「たなさたん」と呼ぶ。これらは彼女の不思議な発言のごく一部で、挙げればきりがない。また、たまに自分の名前が書けなくなることもあるという、自由という枠に収まらない奔放さ。ファンにとってそれらは「まーちゃん頭大丈夫か?」と心配するようなことでは、すでになくなっている。そういうキャラクターとして親しまれているということだ。
 なぜ彼女の日本語が怪しいのか。それは不明だ。幼少の頃に英語しか話していなかったという彼女の発言がある。だから、英語圏で生活していたという未確認情報もある。しかし、現在の彼女は英語を話すことは出来ない。ちなみに、北海道で育った彼女のイントネーションに、訛りはあまりない。まったくないわけではない。
 本題に入る。2015年4月6日に発売された雑誌『トップエール』5月号に、佐藤優樹のインタビュー「まーちゃんが見た新しい世界」が掲載された。ここで初めて語られた彼女の思いは、ファンに感銘を与えた。
 「みにしげさんがくれていたでっかい薔薇! それを私たちは一輪ずつ受け継いでいるんですね。その中で譜久村さんがその一輪を大切に抱えて、その赤い綺麗な薔薇に金の粉をかけて、そこから新しい薔薇を作って、そして私たちを包み込んでいく。その中で「今は私たちのモーニング娘。なんです。なんか文句ありますか?」っていう堂々とした感じ? そういうモーニング娘。'15を作っていきたいなと思っています、今は」
 「優樹の中で薔薇っていうのは、悪いものを消すためにあるんですね」
 「みにしげさんが残してくれた薔薇を枯らすのか? そのままにしておくのか? 何かを加えて新しいものを作るのか? それは全然違うと思うんですよ」
 佐藤優樹が、これからのモーニング娘。をこうして行きたいという、決意と受け取れる。しかし、雑誌掲載にあたって読みやすく修正されていると思われるが、抽象的で分かりづらい。
 彼女が言う薔薇とは何なのか。4月15日に公開されたBillboard JAPANの記事「モーニング娘。'15『青春小僧が泣いている/夕暮れは雨上がり/イマココカラ』インタビュー」*1では、より詳しく語っている。その記事は、佐藤と、彼女の後輩に当たる11期の小田さくら、12期メンバー2名(尾形春水と野中美希)、4名の対談だ。佐藤が「道重さんが卒業した後にメンバーが集まって話し合ったりすることもなく」と、自分たちがグループの今後について集まって「こういうモーニング娘。にしたい!」というような話をしたことがなかったことを振り返る。インタビュアーの「道重さゆみ卒業公演で一度完全燃焼してしまった印象もあったんですけど」という問いに佐藤と小田が頷き、佐藤が続ける。道重がリーダーだった頃のモーニング娘。は「家族」で、卒業後の現在は「良い仕事仲間」だと。続く彼女の発言を要約すると、現在のモーニング娘。は、9期、10期、11期、12期、それぞれがばらばらで、まとまっていない。道重はそれをまとめていたから、団結していたからグループが強かった。今のモーニング娘。は団結していないから弱い。だから、どうしたら皆がまとまるのかを、彼女は悩んでいる。
 道重や田中れいななどの先輩に対して、無邪気さをアピールして(何も考えていなかったのかもしれないが)仲良くなっていった佐藤優樹だが、後輩に対しては、どうやってフレンドリーに接していいのか、分からないとも答えている。しかし、先輩としてアドバイスを行っている。私はモーニング娘。だという自信を持って前に出ろ。私はスターなんだという気持ちでやって欲しい。
 そしてこのインタビューでも、薔薇の例えが出てくる。道重さゆみがメンバーそれぞれに薔薇を1本ずつ渡した。しかしそれを束にしなければいけない。まとまっていない今はただ風に吹かれているだけだと。
 4月16日、モーニング娘。メンバーが全国各地で握手会を開催していた。佐藤優樹は地元の北海道へ行った。筆者が作成したTogetter*2によると、何人かのファンが彼女に薔薇の話について聞き出していた。
 歌やダンスが上手くても、メンバーそれぞれの個性が際立っていなければ、モーニング娘。として輝くことはない。道重さゆみが残していった薔薇には、そのような思いが込められている。そして、薔薇には棘がある。金の粉をふりかけて、その棘を隠す。それもメンバーがやるべきことであるらしい。
 道重さゆみが卒業して、グループに変革が求められた。今回だけではなく、リーダーやエース級のメンバーが卒業するとき、このグループが直面してきたことだった。
 2014年、道重さゆみモーニング娘。を卒業すると発表されてから、さゆロス(道重さゆみがいなくなってしまう大きな失望感=ロス)という言葉がファンの間で話題となっていた。デビュー時から「今日も可愛い」と言い続けていた道重がリーダーとなり、後輩を溺愛するようになった。後輩を可愛いと公言し、隙あれば触りまくるさまは多くのファンから親しみを込めて「変態」と呼ばれた。気づいた時には最強のリーダーと呼ばれるようになった。道重がCMキャラクターを務めた吉野家の焼鳥つくね丼はファンから「さゆ丼」として親しまれた。道重は多くのファンに愛され、グループのイメージも(EDMサウンドやフォーメーションダンスのようなクールなパフォーマンスがまずあってのことだが)、道重に習うような、可愛くて愛されるグループとなっていた。そのようななかで、佐藤は道重に甘えてばかりだった。
 残されたメンバーにとっても、さゆロスは深刻だった。あの頃に比べて、グループが駄目になってはいないか。道重がいないモーニング娘。をファンは喜んでくれるだろうか。佐藤は、道重が卒業してからのモーニング娘。について、自分なりに考えていた。道重が卒業し、譜久村聖がリーダーとなったモーニング娘。が素晴らしいグループになるためには、メンバーそれぞれが道重が残していったモーニング娘。らしさを理解し、受け取り、その上で道重とは異なる方法で育てていかなければならない。グループがどう育っていくのかは自分たちの頑張り次第。薔薇とは、そのような例えだ。
 佐藤優樹は、何を考えているのか分からない、真剣にやっていないのではないかと思われるところがあった。しかし、しっかりした考えを持ってグループ活動に参加しているという自覚があることが、このインタビューを読めば分かるだろう。彼女の言葉は分かりづらいけれど、考えていること、思っていることを的確な言葉で伝えることが苦手なだけなのだ。薔薇のエピソードは、そんな彼女なりの答えだった。生き方を決めた者だけが言える、そのような覚悟が彼女の言葉にはある。それが具体的でないのは、彼女にとって、それ以上の的確な言い回しが必要ないからだ。
 佐藤優樹が天才と呼ばれるのは、奇妙な言い回しの奥にある発言の真意が、誰にも言い当てることが出来ない真実であるからだ。これからは、その真実を広く伝えて行かなければならない。もちろん、言うだけではなく行動で示すこと。彼女に課せられた責務は決して軽くない。しかし、すでに彼女は、その重大さを承知しているはずだ。
 困ったことに、彼女のブログを読んでみても、そのような思いは、まったく伝わってこない。おそらく、それらは暗号で書いてあるのだ。

お知らせ

 このブログ内容を掲載した同人誌「Rose Petals #hps_jp」を出しました。下記リンク参照のこと、よろしくです。通販あります。

 これまで出した個人誌は以下をご覧ください。

小室哲哉つんく対談で明かされたASAYANエピソード(J-MELO本) #hps_jp

『J-MELO』が教えてくれた世界でウケる「日本音楽」 (ぴあMOOK)

http://www.amazon.co.jp/dp/4835625420

 NHKの海外向け音楽番組「J-MELO」の本。ハロプロファンにとっての見所はモーニング娘。メンバー直筆のアンケートと、小室哲哉つんくのプロデューサー対談だ。この対談、例えば、韓国のポップソングがあのようなものである現状で日本のポップソングはどう攻めていくか? のような、音楽についての話が主だが、二人とも参加したことのあるASAYANについての会話が懐かしい。小室のつんく評が的確。そして、モーニング娘。追加メンバーについての、冗談のようなエピソードが掲載されている。
 すでに公表されていることかもしれないが、もしそうであっても改めてお知らせすべき事柄なので書いておく。
 まず、小室の発言から。司会がナインティナインに変わった時期に、ASAYANにMTVのリアリティ番組の要素を入れてみようという、小室からの提案があったのだという。もしそうであれば、ASAYANで放映されたモーニング娘。誕生の経緯、オーディションや寺合宿の様子は、小室の提案がなければ見ることが出来なかったのかもしれない。初期のモーヲタモーニング娘。ファン)が懐かしむ「伝説」も、なかったことになる。そうであれば、ハロプロファンは小室に感謝しなければならないだろう。
 そして、ASAYANで突如発表された、モーニング娘。追加オーディション。つんくの「増やしましょうか?」の一言で決定された。そういうことになっていた。しかし、これに裏話があったことが対談を読むと分かる。当時ASAYANでは、デビューしたモーニング娘。を番組で追うことを止めて、別のつんくオーディションを考えていたのだという。そうなるとモーニング娘。ASAYANに出られない。デビューシングルを発表しただけで、まだまだ売れっ子とは言えなかったモーニング娘。を番組に出し続けるにはどうすればいいのか。それをつんく和田薫モーニング娘。マネージャー)らアップフロント側が話し合っていた。それがあの映像だった。そして、つんくのあの一言は、そのような会話のなかで出た、アイデアとも呼べない、単なるつぶやきのようなものだった。ASAYANで追加オーディションを開催すれば、番組の企画としてモーニング娘。の出演は続けられる。だから、あの一言がなければモーニング娘。はオリジナルメンバーのままで活動していたのかもしれなかったし、最初から加入と卒業を繰り返すグループとして考えられていたわけではなかった。なお、モーニング娘。における「卒業」制度は、オリジナルメンバーであった福田明日香が確立させた。この「制度」とは、グループ脱退の日付を公表して、その日までグループ活動をきっちり行うというもの。途中で投げ出さないという意味だ。福田が投げ出さずに卒業コンサートの日までグループ活動を行ったことが、「卒業」の前例となったのだ。また、スキャンダルで脱退したメンバーや脱退発表の時点ですでに辞めているようなメンバーに対して「卒業」という言葉を使わないのがハロプロの慣例となった。

お知らせ

 このブログ内容を掲載した同人誌「Rose Petals #hps_jp」を出しました。下記リンク参照のこと、よろしくです。通販あります。

 これまで出した個人誌は以下をご覧ください。

つんくの新刊『だから、生きる。』について #hps_jp

「だから、生きる。」

「だから、生きる。」

 2015年、ハロプロファンにとって最も衝撃だったニュースは、10月29日に発表された鞘師里保モーニング娘。卒業予告だ。2015年12月31日に鞘師はモーニング娘。としての活動を終了する。公表から2ヵ月後の卒業は最近のハロプロでは珍しい(道重さゆみの卒業が半年前に発表されたように、ある程度の期間を持たせるのが慣例となっている)。現在のモーニング娘。のセンターであり、人気ナンバーワン。そんな彼女は得意でもあるダンスを極めるために海外への留学を考えているのだという。とにかく、モーニング娘。ファンを含む全てのハロプロファンが、驚き、動揺した。
 この突然の知らせがなければ間違いなく2015年のトップニュースだったのは、つんくが声帯を摘出していたこと、そして、ハロプロのプロデューサーを「卒業」していたことだった。
 2014年10月につんくは、喉頭癌治療のため、声帯を摘出した。そうしなければ死んでしまうかもしれない。しかしシャ乱Qのボーカルのつんくにとって、声帯摘出とは歌手の引退を意味する。つんく本人はもちろん、ファンにとっても、絶対に想像したくないことだった。2015年9月10日に発売されたつんくの本『だから、生きる。』には、いかに悩み、迷い、それでも、生きることを選んだ彼の決断と思いが詰まっている。
 喉の不調を感じていた。2005年に声帯ポリープ摘出手術を受けた。それでも違和感が残っていた。まとまった休みを取って、治療と休養に当てるべきだった。しかしつんくは、自分が休むことでハロプロや自らが経営する会社が止まってしまうだろうことを恐れて、休むことをしなかった。スケジュールが詰まっていたので、体調不良であっても、点滴や注射などのような、その場しのぎの治療で済ます。あの時点でしっかりと休んでいれば、治療に専念すればというタイミングが何度もあった。つんくは、声を失って、そのようなことばかりを考えていたのだという。まさか自分が声を失うとは考えもしなかったと、この本には繰り返し書かれている。こんなはずではなかったと、つんくは繰り返す。
 その繰り返しは、あまり格好の良いものではない。この本には、かっこいいことはほとんど書かれていない。つんくという歌手のファンや、ハロプロのプロデューサーを偉大だと尊敬しているハロプロファンに対して、意外な印象を与えたのかもしれない。Berryz工房℃-ute、そしてモーニング娘。などのグループ名から始まり、歌詞やサウンドのユニークさ、メンバー増員や卒業など選考やそのタイミング。ハロプロが画期的だという印象はつんくの発想と決定の大胆さに寄るところが大きい。しかし、ハロプロの多くを決定してきたつんくであっても、いざ自分のことについては、悩み続けてきた。
 この本でつんくは、ある問いに答えている。声を失うことで彼自身、落胆したが、これまでの、ハロプロのプロデュースを含む膨大な仕事が生活の中心だった考え方が、家族とともに生きていくように変わったのだという。それでは、つんくハロプロを捨てたのかと。
 そうではない。アップフロントグループの会長からハロプロのプロデューサーを降りたらどうかと言われていたのだと、この本には書かれている。それは2013年の秋だったという。
 以前から喉の調子が変だと感じていたつんくだったが、ハロプロのプロデュースを手抜きにすることはなかった。歌手でもあるつんくは、シャ乱Qとして再びステージに立つことも夢見ていた。2013年に行われたシャ乱Qの25周年ライブでは、良くないと感じてきた喉の調子が、たまたま良かったのだという。もう以前のようには歌えないのかもしれないと、喉について不安を感じたのは、その5年前あたりからだった。
 アップフロントの会長がつんくに休めと言ったのだという2013年の時点では、まだ癌ではなかった。しかし、その、先を見通していたのかもしれない会長の言葉がきっかけで、つんくハロプロから降りることを考え始め、決断した。2014年に入り、癌の治療を始めた頃には、もう以前のように歌える状態では、なかったのだろう。
 ファンにとっては知られていることだが、ハロプロの楽曲には作曲したつんく自身による仮歌があり、ハロプロメンバーはその仮歌を真似るように歌い、レコーディングを行う。つんくが作るハロプロ楽曲は年に百を超える。その7割の仮歌をつんくは実際に歌う。つんくの仕事はそれだけではない。作詞、作曲、コンサートの構成から、グループのメンバー選考など、つんくの仕事がいかに多岐に渡っていたか、この本には書かれている。
 ハロプロファンにとって何が衝撃だったのか。それはやはり、つんくハロプロのプロデュースから離れていたことが明言されたことだ。そして、つんくハロプロ卒業は、どうしようもない、仕方のないことだった。それがショックだった。
 これまでであれば、ハロプロの事件とは、主につんく発信だった。モーニング娘。のコンサートに予告なくつんくが登場するとき、それはメンバーの増員の知らせであったりした。
 喉頭癌を患い、テレビやコンサートに姿を見せることがなくなった。2014年にスマイレージアンジュルムに名称を変更したが、それはつんくのアイデアではなかった。ハロプロのグループ名についてつんくが関わっていないということが異例だった。2014年後半、つんくの姿が見えなくなっていた。ハロプロ楽曲につんく以外のクリエイターが参加することが多くなってきて、2015年の楽曲すべてに「Produced by つんく♂」のクレジットが表記されていない。そのことからファンは、もしかしたらと予想はしていた。しかし、つんく本人からのアナウンスはなかった。
 シャ乱Qの頃は派手なメイクをしていたつんく。斜に構えるのではなく、アホでもいいから目立つことをやる。それはハロプロにおいての無数のアイデアでも健在だった。とにかく何か面白いことをやってやる。挑戦的だった。そんなつんくが、何かを隠しているとは誰も考えていなかった。
 そうであって欲しくはないが、もしかしたら。つんくはすでにハロプロのプロデュースを辞めていた。しかし、それを納得しないファンは、いなかった。ハロプロのプロデュースが激務だということが、この本からはっきりと読み取れたからだ。
 以下、この本に書かれている、つんくハロプロの関わりについてのまとめ。

モーニング娘。初期
レコーディングには4~5日が必要。
つんくはレコーディングの全ての工程(歌録り、パソコンでの歌や楽器の音などの編集、コーラス録音、トラックダウンなど)に関わっていた。もちろん、メンバーへの歌唱指導も行う。
トラックダウン作業では24時を超えるのは当たり前。
空き時間に新曲の作詞作曲や仮歌のレコーディングを行う。
作曲を行う日を決めて、必ず一曲は作る。
最初は誰もモーニング娘。が売れると思っていなかったので、作詞、作曲、ダンス、衣装、コンサートの構成、MC内容まで、アップフロントつんくのやりたいようにやらせた。
LOVEマシーンの大ヒット以降
タイアップなどでの制約が増えた。
ハロプロのグループが増えたので、つんくがレコーディングからコンサートまでの全てに関わることが不可能になってきた。
メンバーが忙しくなりレコーディングに時間を取れなくなったので雰囲気が出ていればOKテイクとする。
ピッチ調整などの細かい作業のため当時珍しかった「Pro Tools」導入。試行錯誤の連続。
つんく自身、雑誌連載やTVドラマ出演など、音楽以外の仕事が増えた。
頭が冴えて眠くならないので睡眠導入剤で就寝。
モーニング娘。4期メンバーまではつんく選考。5期以降はオーディション委員会設立。7期以降は選曲を含めつんくが全てを決定するわけではなくなった。
ただし、サウンド制作での妥協は一切しない。
■2004年以降
かつてのブームが一段落したが、つんくの忙しさはさほど変わらず。
同じマンションにスタッフが住んでいて電話一本で食べ物が届けられる(部屋を出る暇があるなら曲を書けとのこと)。
点滴などで疲労回復していたが、これでは良くないということで、生活を夜型から昼型(13時には仕事が始められる生活)へ。
気づいたら喉に違和感。

 サウンド制作とは直接の関連はないが、つんくは、ハロプロメンバーを精神的に育てることも使命=プロデューサーの仕事だと感じていた。モーニング娘。初期の頃のように直接の歌唱指導こそなくなったようだが、ことあるごとにメンバーへの「だめ出し」を行っていた。メンバーが雑誌のインタビューなどで、つんくからこんなことを指摘されたということを度々答えていた。また、これはメールでのやり取りだと思われるが、つんくはメンバーに対して、生活習慣から「卒業」についてまで、幅広く相談に乗っていた。これらの一部はメンバーのブログなどでも確認出来た。
 つんくの本についての話題に戻す。喉の違和感があり、ポリープの手術を行い、それでも違和感が残っていて、結果的に癌になった。この本にも書いてあるが、全ての歌手が喉頭癌になる訳ではない。しかしつんくは、仮歌や歌唱指導など、歌うことと同時に、上記のような多くの作業も行い続けた。これは本には書かれていないが、休養も取らず、ステロイドなどの薬品を使い続け、その疲労が、一番酷使していた喉に「来た」のだとしたら…
 シャ乱Qの活動で多忙を極めていた頃につんくは、注射などの治療で回復することを覚えた。また、喉の不調を治すためにステロイド吸入器を用いていた。健康のためと称してビタミンなどのサプリメントも飲んでいた。交際から結婚までの期間につんくは、これまでの薬漬けの生活を捨てるべく、自然食にこだわり出した。ハロプロ楽曲の歌詞に「ごはん」などの食べ物が出てくるようになった。結婚してもしばらくは、仕事第一で家庭を顧みない生活だったが、次第に、妻との時間を大切にするように心境が変化していった。かつてのつんくは、女子供に媚びないのがロックだと言っていたけれど、現在では、ジョンレノンとオノヨーコに習い、妻や子供、家族まるごとの俺の生き方もロックなのだと、変わった。
 それが早ければ、以前のような激務から開放されていれば、もしかしたら声を失うことはなかったのかもしれない。つんくが「こんなはずではなかった」と繰り返しているのは、そのような思いがあるからだ。
 この本には、病気について、シャ乱Qについて、そして、モーニング娘。について、つんく自身がどう関わってきたのかが書かれている。あのASAYANのオーディション企画が始まってからつんくは、シャ乱Qよりもモーニング娘。に関わる比重が高くなっていた。ハロプロ全体についても書かれているが、そのほとんどはモーニング娘。についてだ。さらに言えば、この本には、℃-uteスマイレージなど、現在でも活躍する(つんくプロデュースとしてデビューした)ハロプロのグループについて、一切書かれていない。つんくにとってのハロプロとは、モーニング娘。に始まり、モーニング娘。で終わった。それは、医者から止められてもモーニング娘。のニューヨーク公演のために飛行機に乗ったことからも分かる。
 2014年9月、喉頭癌の完全寛解を発表したつんくだったが、喉の調子は明らかにおかしいし声も変だったという。しかしつんくは、10月5日に行われるモーニング娘。のニューヨーク公演のために渡航の準備をしていた。家族を連れて何泊かの予定だった。10月15日には新曲『TIKI BUN』が発売される。これが最後のつんくプロデュースのモーニング娘。シングルとなった。公表されていないが、この時点でつんくモーニング娘。のプロデュースから離れることを決めているはずだ。
 喉の癌が再発したのは、モーニング娘。のニューヨーク公演の直前だった。主治医からの電話があり、癌が見つかったので今すぐ帰国して手術をしろという内容だった。しかしつんくは、この公演を見届けるのが自分のやるべきことだとして、公演後に帰国した。
 つんくにとってモーニング娘。は特別な存在だった。命を懸けていたと言っていいだろう。

お知らせ

 このブログ内容を掲載した同人誌「Rose Petals #hps_jp」を出しました。下記リンク参照のこと、よろしくです。通販あります。

 これまで出した個人誌は以下をご覧ください。